相手の立場で考える②

okamakoto2005-01-22

昨日、「相手の立場で考える」事の大事さと難しさを身近な「交通問題」の事例で取り上げた。災害時の「被災者の問題」についても同様な事が言えるのだろう。10年前の「阪神淡路大震災」、昨年の「新潟中越地震」や今回の「スマトラ沖地震」でも沢山の被害者を出した。特にスマトラ沖地震2次災害とも言うべき「インド洋大津波」では実に20−30万人の人達が命を落としている。地震は予期せず突如として起きるだけに「天災」と言えるのかもしれないが、最近頻発している台風・異常気象等は明らかな「地球温暖化の結果」と言われている。何れにしても「災害」が起きれば沢山の被災者を輩出し、その場合の最大の被害者は一般庶民・幼い子供達で、結果として被災者周辺がすべて「弱者」となってしまう。


「災害」は「ない」に超した事はない、出来れば避けたいものである、いや、「避けなければならない」のだろう。日進月歩する人間の「科学技術」はそれを最大の使命としているのだろうから。二酸化炭素排出抑制を決めた「京都議定書」は正に地球自滅を目指す第一歩なのだろう。


然し何と言っても「人災」の中でも「最も悲惨」なのは「戦争」である。
戦争は当事国相互の「理解不足」「誤解」「利害の対立」等、人為的な原因によって起きる「狂気の状態」である。歴史上戦争の契機になるのは、往々にしてその時の国の指導者の資質に負う所が大きい。指導層の外交力、想像力の欠如もあるかもしれない。「孫子の兵法」にもある通り、古来戦争は一旦始めたら「止め時」が一番難しいと言われている。イラク戦争を考えても当初はアメリカ(ブッシュ)は「簡単に勝利出来る」と考え開戦に踏み切ったと思う。一旦開戦してしまうと双方国共に被害が不可避であり、その被害に比例し敵愾心が増幅され、抜き差しならぬ泥沼状態となる。私達戦争世代にとって「鬼畜米英」「一億一心」と、竹槍で懸命に敵に向っていた当時を振り返りつつ、現在の事態は、とても「よそ事」とは思えないのである。


何よりも戦争は国民が最大の被害者となる、それも戦場となった一般市民・女性・子供達ー弱者ーが悲惨だ。家族を殺され、家を失い、食べ物にも事欠き、飢えに苦しむ。不幸な事に今の時代、弱者への視点が「指導者」に決定的に欠けているように思えてならない。、「派兵された軍人・家族」は勿論、戦場となっている相手国民への視点もである。