スウエーデンに見る②

okamakoto2005-01-27

 スウエーデンの5月は春、冬の眠りから覚めた自然の樹木や草花が一斉に緑を競い、ゆったりと広がる湖面と調和し実に見事な光景となる。14の島から成っているという首都ストックホルムは正に「緑と湖」の街である。

「北欧」には、このスウエーデン他にデンマーク・ノルウエー・フインランドが、又、1991年独立の北極に近いアイスランドが、更にユーラシャ大陸の北西部のエストニアラトビア・リトニアの「バルト3国」が1991年旧ソ連から分離加って現在8ヶ国となっている。


スウエーデンは国の広さは日本の1.2倍、然し人口は現在890万人と、日本の10分の1にも満たない国である。然し今、この北欧の国が世界から注視を浴びている。
北欧の国スウエーデンは、過去約200年の間、自国から戦争を仕掛けることもせず、戦争に巻き込まれる事もなく、大戦中も「中立」の立場を守り通して「高福祉・高負担国家」「教育と文化」「産業国家」として着実な成果を挙げている国である。実はそれを支え、基盤となっているのがスウエ−デンの「徹底した民主主義」であり、且つそれ故に「民主主義の実験国家」と称される所以である。
現在「偉大な歴史の実験」と言われているEU=「ヨーロッパ統合」構想も、元を質せばヨーロッパの一角に位置するこの国の理念とその実績の影響が大きいように思う。


最初に自分達が行った25年前の1980年に、この国では70年来のストをやっていた。バス・地下鉄等の交通機関も停まり、飛行機も飛ばなかった(お陰でデンマークコペンハーゲンからフェリーと特急列車を乗り継ぎストックホルムまで8時間の列車だった。然し、外国人旅行者向けのホテルや食堂・観光地商店等は普段通りで会議等も支障はなかった。ストは1週間後に解決した)。税率の引き上げに対する国民の反対が原因だったようだが、「これだけの福祉を得ていてまだ何が不満なの」か、と当時の我々一行には判り難かったものだ。
然し「ゼネスト」と言っても旗一本立つ訳でもなく、街は至極静かで日本のようなスト風景は全く見られず、夫々の人々が芝生の上で寝転んだり、長椅子を外へ出してのんびり本を読んだりしていた。


この国は、幼稚園から大学まで学校の授業料も一切なし、病気になれば病院も無料、休暇は「有給休暇は当然な事」、他に夏季は(現場のある人は交代で)少なくとも1−2ヶ月は休みを取るのが当たり前、とのこと。
我々を各地の福祉施設や省エネ建築事例や北の学園都市ウプサラへ案内、最後イエテボリまで運転したバス運転手も「この後、2ヶ月は家族と湖畔の別荘で過ごす」と言う。「いや、この国では皆別荘を持つのが当たり前ですよ、外国に持っている人も多いのですよ」と、事も無げに話すのだ。


今回、5月に訪問したのが2回目であるが、四半世紀前に私たち「働き蜂」は「スウエーデンやイギリスに見習ってはいけない」、と言われ、事実そう考えたのだ。然し一体「四半世紀経って我々の国はどうなったのだろうか」又、「この国」はどうなっているのだろうか」。再訪の目的の最大のものはその事だったし、今、それをじっくり考えたいのである。