スウエーデンに見る ⑤平和の配当

okamakoto2005-01-30

スウエーデンは現在まで約2世紀に近い180年間、他国との戦争には関わらず、「中立」を堅持してきた国である。それまでは、バイキング侵攻時代を含め常に「戦争当事国」で、16世紀の「7年戦争」や17世紀の「30年戦争」等、近隣ロシア・デンマーク・フインランド・ノルウエー等と数々の悲劇的事件を含め、常に「戦争経験」を経て来た国である。


Ⅰ.中立政策
1814年、スウエーデンは、内外にスウエーデンの「中立」を宣言した。
それまでは「バルト大国」として栄光を誇った国だが、以降「中立を国是」としたのである。
当時、世界の列強はこぞって大国主義・植民地覇権主義を競い合っていた。
一方のスウエーデンは国是を守り、周辺ヨーロッパが主戦場となった「第1次世界大戦」及び、1941年の「第2次世界大戦」にも参戦せず、何れの国とも「敵味方することなく」組しなかった。
むしろ戦後、大戦で焦土と化した周辺ヨーロッパ諸国にいち早く支援を行い、復興の先頭に立って協力を惜しまなかったのである。


かっては一農業国に過ぎなかったこの国は、19世紀初頭から隆盛となった木材・繊維・造船・紙パルプ産業、更には20世紀に入り自動車・機械・電機・通信・IT産業でも世界の先頭を行く近代産業国家と言われるまでになったのである。 
これらは言わば「中立国」スウエーデンへの「平和の配当」と言うべきものであろう。


Ⅱ.「国民の家」理念
「良き家では、平等、心遣い、協力、助け合いの精神が行き渡っている。そして、より公平な社会は、特権を持つ者と持たない者、富める者と貧しい者―つまり、財産のある者と、貧窮した者、略奪した者と、略奪された者とを分け隔てている社会的バリアを取り払われねばならない、然し、それは革命や暴力によって実現するのではない・・・労働者のみの「家」ではなく、総ての市民が平等で助け合う「家」実現が理想であり、それを目指そう・・」。これは1928年議会で後の首相となる社民党ハンソン党首が「国民の家」構想として明示した路線である。(スティーグ・H著・岡沢憲芙監訳「スウエーデン現代政治史」より、一部意訳)
結党後70年近く、社民党は「公平・公正・平等・機会均等社会」を党是とし、大方の国民の支持を得ている。


尚、1999年実施された国際比較調査「若者の意識調査」では、「自分の社会に満足しているか」の問いに、「満足度」最高69%の回答をした国がスウエーデン、残念ながら日本は35%で最低ランクだったとの事だ。