閑話休題

okamakoto2005-01-31

元日から日記を始めて、兎も角、月末まで来た。途中3日間抜けたが、まあ、9割だから「よし」としようか。(実は、当日PC上で書き上げて送信した積りだったが手順を間違えその日の日記が行方不明になってしまった。がっかりして「はてなサポート」へ問い合わせた処、2日後ご丁重なご連絡のメールを頂いた、が、要は先方で調べたが判らなかった・・とのこと)。冷静になって考えて見ると最初から甥の長男「光君」頼みだった。彼も学業で多忙中、「春に駒場から本郷に移ればもっと手伝ってあげる」と言うが、要は早く自分が一本立ちする事だ、と思っている。


PCを打ちながらラジオを聞いていたら、先日も国会・予算委員会の質疑中継をやっていて、余りの不真面目な答弁の繰り返しに腹が立って来てしまった。こんな首相に4割の国民が支持を与えているとはとても信じられない。全く不幸な時代だ。


過日、本田靖春氏が亡くなられたと知り強い衝撃を覚えた。月刊「現代」で連載中の「我、拗ね者として生涯を閉ず」を読んでいて、今、報道のジャーナリズム精神が問われている時期だけに本田氏の正義感、憂国の情には常に共感しているのだが、それだけに訃報は残念でならない。そう言えば、司馬遼太郎さんも国の行く末を案じ苦悩しておられた。お二人共に日本の現状に絶望され、「国の将来を憂うるの余り」「憤死」されたものと思っている。


偶々昨日、久しぶりに親しい学友から手紙を添えて1冊の本を贈って頂いた。「ハンセン病報道は真実を伝え得たか」末利光氏著の本である。氏は元NHKのアナウンサー、山梨県春日井町郷土館館長で大学時代の親友である。さすがに講談師「神田甲陽」の名を持つ氏の文章だけに読み易い文章で思わず引き込まれ読み始めている。司馬遼太郎氏、本田靖春氏、末利光氏共通するのは夫々に実に洒脱で痛烈、それでいて燃えるが如きこの国将来への憂いの思いである。何よりも「読み易い文章」だ。年代的に共通するせいか、自分も共感しながらも、こと肝心の文章となると先達各位には足元にも及ばず忸怩たる思いをしている。


さて、スウエーデンの事もまだまだ記したい事柄も多い。身近な2−3の方から「読んでるよ」と言って頂き、背中に「元気印」で押してもらっている感じで、勇気付けられている。


先日資料調べで電話の上で、スウエーデン大使館へ伺った処、大変親切にご対応頂いた。又、今回素晴らしい「はてなページ」を利用させて頂いている事、及びそこへ導いてくれた「光君」へも本ページ上で併せて感謝申し上げたい。