スウエーデンに見る⑩ 政治家の死

okamakoto2005-02-05

ノーベル賞の授賞祝賀式典」は毎年スウエーデンの首都ストックホルで挙行されているのは、戦争とは無縁で世界平和に貢献しているこの国を象徴しているようだ。この国からは過去「平和賞」だけでも7名の方が受賞している。(写真はノーベル賞式典のストックホルム市庁舎)
(ダイナマイト発明のノーベルの遺志で1901年から創設されたこの賞は平和賞の他に医学・生理学、化学、物理、文学、経済の6部門がある。尚日本人は湯川秀樹氏を始め12名の方が受賞に浴している。写真はノーベル賞受賞祝賀会場ホール)


1961年の平和賞受賞の元国連事務総長ハマーショルド氏」は第2代国際連合事務総長として世界によく知られた方だ。スエズ動乱の際国連緊急軍の派遣を決め、更にレバノン紛争では国連監視団を送ったり、コンゴ独立後の内乱問題でも治安維持の国連軍派遣を決めた。そのコンゴから飛行機で移動中北ローデシア上空にて乗機が墜落、氏は死去された。世界各地で続発する紛争解決には戦争回避に国連が乗り出し、その為には機能強化が必要と言うのが氏の持論で、率先して行動に当っていた。「ハマーショルド氏」への加盟各国からの信頼は絶大で、氏は事務総長として再任されたばかりであった。が然し、この事は大国、特に米ソ両国からは快く思われてはいなかったようだ。


1986年2月28日。ストックホルムの路上で、スウェーデンの首相オロフ・パルメが射殺された。夫人と映画を観ての帰り道、地下鉄入り口で何者かに後ろから銃撃されたのだ。事件は未だに迷宮入りしたままだ。パルメ首相は国際的にも有名な反核軍縮運動家で、国内外に彼の言動を面白く思わない人間も大勢いた。当時は冷戦時代末期。東西のパワーゲームが苛烈を極める中で、「北欧を非核地帯に」という彼の主張は平和運動家達からは支持されていたのだが、彼を殺したいと願っていた人も内外共に多かったと言われる。誰がパルメ首相を殺したかについては、事件直後から様々に言われているが、真相は闇に包まれたままだ。


女性政治家で次期首相が確実されていたアンナ・リンド外務大臣が、ユーロ加入の是非を国民に問う国民投票を4日後に控えた2003年9月10日夜、デパートから出たところを暴漢に刺され死去した。まだ46歳の大変明るく有能で人気の高い政治家だったそうだ。京都で開催された「地球環境問国際会議」ではスウエーデン側首席代表として来日され親日家としても知られた方であった。


スウエーデンは最も自由で透明性の高い民主政体を持ち、例え王であろうと有力政治家であろうと、市民と一緒に地下鉄に乗り街を歩いている。特別な護衛とか警備をしている訳ではない。例えこのような不幸な事件があったからと言って銃で護って貰おうかとか、ガードマンや高い塀で家を固めると言う発想はないように思われる。彼等は政治家となった以上、民を信じ国民と共に生きるのが何よりも大事だと考えているに違いない。
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