EU② ユーロ誕生

「命から二番目に大事」なものが「カネ」だと思っている人が多い中で、或る日を境に、「今持っているカネ」が「他所の国のカネ」に変わると言えば相当の混乱も起きると思うのだが、そのようなことがヨーロッパ11カ国で一斉に行われ、さほどの混乱もなく、やり遂げたと言うのだから驚きである。


2002年1月1日、EU共通通貨「ユーロ貨幣」への一斉切り変えである。既にヨーロッパ統合への歩みは、第1段階「人・モノ・サービスの移動の自由」から第2段階の移行期間を経て、第3段階の欧州通貨統合(EMU)完成段階へ入ったのであった。ヨーロッパ諸国間での各国間の為替レートをこの時点で調整し単一通貨「ユーロ」に切り変わった瞬間である。

1992年の「マースとリヒ条約」調印を機に、第1段階で国境通関ゲートでの面倒な入国の手続が不必要となった。それまでは旅行者だけではなくて、住民相互が国境を越えて移動、往復したり、貨物や商品を送り受けとる際にも手続を必要だったのが一切不必要になったと言う事である。


更にそれを次の段階へ進めようとしたのが「各国間の通貨」を統一して単一通貨にしてしまうと言うのだから、その間の意思統一、各国国内での合意形成はもとより、相互通貨の価値をどのように調整、決定するかの政治的・技術的問題の利害克服は考えただけでも想像を絶するものがあったと思われる。勿論夫々の段階で全国民的議論をし最終段階では「国民投票」に諮り決定を見ている。


従来は、我々外国からの旅行者も、国を移動する際には一々相手国の通貨に変えねばならない不便さがあった。それを不要にして「共通の通貨」にしてしまうと言う事は、考え方では「国の存在」そのものを否定し兼ねない重大事である。果たしてと言うべきか、「国民投票」の結果、そこまで一挙には踏み出せないと言う国が15ヶ国中4カ国ーイギリス・スウエーデン・デンマークギリシャ―の各国があって、国民の過半数の賛成がその時点では得られなかったが、他の11カ国の移行が予想以上にスムースだった事もあって、何れ再度の国民投票の際には過半数を得て参加する事は間違いないと思われる。


(写真はユーロの紙幣と硬貨の見本で在日欧州委員会代表部資料から転写させて頂いた)