日本は過去から何を学ぶか

okamakoto2005-02-16



太平洋戦争で多くの戦争被害者を出した日本の場合、一体過去の歴史から何を学び取っているのだろうか。そしてそれをこれからの未来にどう生かそうとしているのであろうか。


太平洋戦争(大東亜戦争)は昭和16年12月8日から20年8月15日までの3年8ヶ月間(それまでの満州事変日支戦争から数えると実に14年に及ぶ)、太平洋戦争での戦死者は軍関係約180万人、一般国民70万人で計250万人に達する。一瞬にして原爆で殺傷された広島・長崎の一般市民、唯一の本土決戦場となった沖縄での悲惨な状況は60年経った今もまだ終わってはいない。戦時下、連夜のB29の空爆で逃げ惑い焼け死んでいった多くの戦争被害者や家族まで入れての軍民挙げての総力戦だった。


太平洋戦争の戦域は、北はアリューシャンから南はニューギニアに至る南方諸島、西は中国、インドシナ半島、北部インドに及び、ガダルカナルコレヒドールインパールアッツ島、フイリピン奥地等アジア各地までに及び、そこでは補給路も断たれ、食べ物もなく戦闘ではなく非情にも餓死してしまった多くの日本兵もあった。乗機に爆弾を縛って敵艦目掛け体当たりして散った10代の特攻隊の若人達もある。


文芸春秋3月号に哲学者鶴見俊輔氏が「戦後憲法天皇夫妻」で一文を寄せられている(134−136P)。氏が米ハーバード大学学生として在学中の1941年(昭和16年)、大使館から至急帰国するようにとの指示が入った。その時、対応策を講師で滞米中の都留重人氏と教授の両者に相談したそうだ、教授と都留氏は「日米戦争にはならない」との意見だったそうだ。その時の教授はこう言った「自分は米国史の研究者でよくわからないが、」と断った上で「100年前に貧しい国だった国の指導者が懸命に舵を取り今日の大国になった、これほど優れた指導者を出す日本が負けると分かっている戦争に国民を巻き込むとは思われない」と言ったそうである。


戦争の原因については諸説もあり、自分なりの考えもあるが今此処でそれを論じる積りはない。ただ、然し鶴見氏の次の視点は実に重要だと思うので後半部分を茲に引用させて頂く。


「・・日露戦争以降の誇大な国家的自負心は国内国外を遠く見る仕組みを失い・・・ファッシズムという道を踏んだ。・・そして天皇制を巧みに用いて、天皇個人を押し立てて中国への侵略戦争を続け・・大東亜戦争につきいる。この間の政治最高指導者の天皇を責任の外に置く事は、対中国戦争と、大東亜戦争を不問に付す事になる。現に戦後の日本の政権はそうしている。
米国による敗北は、日本にとって再びデモクラシーへの道を開いたかに見えたが、軍国主義時代の失敗の記憶はなくなり、米国自身が全体主義に変わって行く中で、日本はその米国の支持を得て自信を持ち新しい国家主義に変わって行く。ファッシズムへの歯止めはないかに見える。」