失態


2番目の「落とし穴」はこの奇襲攻撃でアメリカの日本に対する「対抗心」を一挙に盛り上げ「挙国一致体制を組ませたことである。

これを更に決定的にしたことが3番目の日本側の「落とし穴」だった。予め手渡されている筈の「対米宣戦布告書」が、駐米大使館の「手違い」で野村大使からハル国務長官に手渡した時間が午後2時20分、攻撃開始後約1時間遅れとなった事である。「卑怯な日本」と、何時までも(今でも)云われ続け、その事が直後の米国民に「打倒日本」に一致団結させ、アメリカを勝利させた原動力になった事は事実である。


その「歴史的大失態」の原因は、日本からの極秘暗号電報が、大使館の解読遅れで間に合わなかったことだと言う。それも、その遅れた訳は、解読担当者を含め、全員出勤が遅くなったからだと言う。


尚、残念ながら、その間の実際の事実関係は、当の「外務省」から、60年経った現在まで、国民への「釈明」どころか、何の説明もされてはいないのである。


(写真は宮城前広場、今日も天皇家の「紀宮さま納采の儀」で、奉祝の為の一般参賀者が多い)