機密物焼却の駐米大使館


ところで、日本の外務省は「日米戦不可避」との判断から、11月19日至急電報で駐米大使館に次のような指示を出している。「非常事態における国際通信の途絶した際の情報手段」として、日本の対外国向け短波ラジオ放送を通してのニュースの際、指示をニュースの中で「暗号で出す」、その際は総ての暗号書・暗号解読機器類は「焼却すべし」と。以来大使館武官室では「風の便り」に耳をそば立てていた、と言う。


12月4日、遂に「風の便り」が来た、予ねて準備していた手順に従い5日早朝暗号書・機密文書・暗号機械等をアメリカ側に気付かれないように(何回もの予行演習を経て)無事焼却処分を終えていた。長文の「宣戦布告書」が2回に分けて送付されてきたのが翌日からであった。(目撃者が語る昭和史「太平洋戦争①」より、当時日本大使館武官補佐官記)


上記の手記には、対米最後通牒交付が遅延した状況にも当然の事として触れられている、標題も「真珠湾《だまし討ち》は日本大使館の完全な怠慢だった」と、ある。「間に合わなかったタイプ」と言う小項目もある。前夜第13部の暗号文が送られて来て、解読に夜半まで掛り、最後の1部が後で送られて来た為、解読・清書・タイプ打ちも慣れないまま、遅れた、と当日の状況が活写されている。