池田政治を阻んだ「病魔」


池田氏はそれらを見届けるように11月25日「引退発表」をした、発表では「前がん症状」であったが、後「喉頭がん」と発表され、1年半後の昭和40年8月13日逝去された、未だ65歳と今から思っても若い死であった。


翻って、池田首相は戦後政治史稀に見る「名宰相」だった。岸政治が安保を巡る国内対立を招き、国内に未曾有の混乱を引き起こした。池田政治は逆に国民の関心を「経済」に集中させ、「融和の政治」で国内世論のコンセンサスを得ていく。そのような政治手法はその前にも、後にも見当たらない。


池田氏は、国民各層の合意を元に、国力を涵養する事が「政治の要諦」と考え、日本の将来像もアメリカ一辺倒ではなく、もっと「自立した国家像」を目指していたように思う。まさか志半ばで死を迎えるとは、つゆだに考えなかったに違いない。