「死ぬ気」でやる

okamakoto2005-09-21



先日、尊敬する大経営者「宅急便創始者ヤマト運輸小倉さん」死去の方に接し衝撃を受けたばかりなのに、今回また流通革命の「ダイエ―」創業者中内功さん死去の報に接した。


中内さん死去されたと聞いたのは、昨日9月20日だった。過去縁あって時折お見掛けしていたのだが、何時も実に好奇心旺盛な方だった。


昭和の「戦後物不足の時代」に生まれ育った自分達にとって、今現在のような「物に恵まれた世界」、と言うのは正に「夢であり、天国」だった。


中内さんは、敗戦国日本人にこの夢実現に、マスセールス(大量販売)」の面で尖兵として走り続けた人だった。


フイリッピンのジャングルでの数少ない生き残り兵として、身近な戦友が次々に食えなく「餓死」していくのを見ながら「どうせみんな死ぬのだ、何時死んでも良い」の気構えだった。


その中内さんの経営面での気構えを耳にしたのが約20年程も前、時折り仕事柄でご高説を伺いに行っていて、中内さんの身近に仕えていた官僚OBの方からであった。


その方は「中内さんは、何時死んでも良い、どうせ必ず人間死ぬのだ、会社もそのような気構えで運営されていた」、と聞いた。


その時は、親しさの余りの雑談と聞いていたのだが、今にして思えば、この方は副社長として中内さんの拡大路線を軌道修正しようとして何らかのいきさつがあってお辞めになったに違いない方だった。


中内さんは他人の忠言を聞き入れる方でもなかったようだし、その時点から、両者共にダイエーの今日を予感していたに違いない。


晩年は中内さんは実に不幸な方だったが、ご本人は「やる事をやった、走り続けること自体が生き甲斐だった」と、お考えになっていたのに相違ない。