A級戦犯

okamakoto2005-11-02



満州事変の発端となった「柳条湖事件」(昭和6・9・18)も関東軍が「満州占領計画」の口実として仕組んだもので、その背後には「満鉄」人脈の策謀があった。


「満鉄」は従って日本軍の出先である「関東軍の謀略機関」といって良い存在だった。その関東軍を実質的に支配して来た実力者が満州の「2キ・3スケ」だと言われる。


「2キ・3スケ」とは、東条英機(関東軍司令官・首相)、星野直樹(国務院長官)、岸信介(商工大臣、後の首相)、鮎川義介満州重工社長・日産の創始者)、松岡洋介(満鉄総裁・外相)、である。


日本の敗戦後、進駐軍は彼等を「A級戦犯」として指定、逮捕したのである、然し昭和23年11月12日A級戦犯のうち、開戦時の首相、東條英機等7名だけが死刑判決を受け、彼等は12月23日(皇太子の誕生日)に絞首刑を執行された。


死刑者の中には「広田弘毅」のように戦争には反対していた外交官(文官)出身者もいた、広田は昭和6年満州事変後の軍人内閣の中で唯一の文官首相だった。