「満州人脈」の釈放


その一方で、7名の死刑執行翌日―12月24日に、A級戦犯容疑で拘置中の、岸信介児玉誉士夫笹川良一等「満州人脈」は釈放されたのである。


終身刑16名、有期刑2名、(松岡洋石・東郷茂徳は判決前に獄中で病死した)。残りの受刑者は何れも後日に釈放されて現場に復帰している、その中には満州人脈の賀屋興宣もいる。


東条英機は「満州人脈」と言いながらも開戦時の首相で、責任は免れないとしても、その他の「満州人脈の釈放」の裏に一体何があったのか。


歴史には常に「ブラック部分」がつき物だろうが、それにしても同じ「A級戦犯容疑」で一方は死刑になり、片方は釈放されたのである。


そこに「満州人脈」とGHQ(アメリカ占領軍)との間で、「何らかの重要な取引」があったと考えるのが自然ではあるまいか。


巣鴨拘置所の鉄格子「死刑囚容疑者」から、一転して釈放された「満州人脈その後の足跡」を辿ってみたい。


(写真は横浜港の帆船)