アメリカの「ご都合主義」

okamakoto2005-11-03



勿論「極東軍事裁判」が「人類の正義」の立場で行われたと言うつもりは毛頭ない、むしろ、そもそも日本に「戦争を決意させた」のは一体どの国だったのか。


或いは、全く「無抵抗な密集都市に絨毯爆撃」して「大量殺戮した罪」とか、「非人道的原爆」を落とした罪はどう裁くのか、これら歴史に対してのアメリカの原罪とも言うべき「戦争犯罪」は何時までも残る、と思う。


極東軍事裁判東京裁判)がアメリカの恣意的だったことは、岸信介等「A級戦犯容疑者釈放」の背景には「アメリカの政策変更」もあった。


敗戦3年後の昭和23年(1948年)の世界情勢は急変していた。4月、ソ連の「ベルリン封鎖」があり、9月に「朝鮮民主主義共和国」が成立した。


同年10月7日、アメリカの「国家安全保障会議」で「日本」を「冷戦体制へ組み込む」事を大統領に勧告し、対日政策が一変した。これは他ならぬアメリカの「覇権主義」、「ご都合主義」である。


然し敗戦国の立場で「戦争裁判」に異議申し立て出来る立場でない以上、ドイツのように自国で戦争の敗戦責任は明確にしておくべきだったし、今からでも遅くない「必ずやるべき事」だと思う。


現状のような日本人の「無気力さ」「無責任さ」は、「過去に区切り」がついていないからだ。その事が今日の日本人の「精神的荒廃」を招き、「倫理観のなさ」、「道義観念の喪出」、「展望のない未来」の要因になっていると思う。


日本の「敗戦前」と「敗戦後」で「区切りがない」事の「象徴的事例」を幾つか挙げてみたい。これらは「旧くて新しい」、「今日的問題」なのである。