強権「逆コース」政治


然し、岸内閣は世論には全くお構いなく国会へ警官隊を入れて自民党だけで委員会及び本会議で強行採決衆議院をも自民党単独で「日米安保条約」を通過させてしまった。


岸氏は参議院へは送らず自然承認で条約成立を企図して、成立後にアイゼンハワー大統領を日本に招き、天皇と羽田からオープンカーで歓迎するつもりだったとの事である。(岩波書店刊中村正則氏の著書による)


大統領訪日事前打合せで、来日した「ハガティ大統領秘書」は羽田空港でデモ隊に囲まれ動きがとれず、出迎えの米大使と共に自衛隊ヘリコプターで救出される騒ぎもあった。


更に国会を取り巻いたデモ隊と機動隊との衝突で、沢山の怪我人や、検挙者も出て、女子大生「樺美智子さん」が圧死する事件までも起きたのである。


大統領訪日は中止されたが、安保条約は時間切れで自然成立し、直後、岸氏は辞任したものの、この問題が残した国内の亀裂は余りにも大きく且つ深刻で、45年後の今日も、正に今日的問題にもなっているのである。



(横浜市内・公園の遊具)