「庶民政治家の喪失」


事件の衝撃も大きかった、浅沼氏は社会党右派出身ながら、それまで左右別々だった党を一本にまとめ、統一社会党として野党の先頭に立って国民の目線で岸政治を激しく批判し続けていた。


浅沼氏は、豪放磊落な庶民的政治家で下町のアパート暮らしを続け、当時日本の政治を変え得る唯一の人物として大方の国民から期待された「革新の希望の星」であった。


当時の世情は、安保改定運動の余韻未だ覚めやらず重苦しい雰囲気の中にも「希望の星」に一縷の夢を託していた。当時、国民は真剣に国の行く末を案じていたのだ。


然し、この事件を境に革新勢力は見る見る勢いを失っていく、「テロに屈した」と言うよりも、大衆政治家「浅沼」を失った事で、挫折感と共に政治への高揚感が一気に冷えて行ったのである。


この安保闘争の挫折感と「大衆政治家喪失」は、その後の日本政治にとっては大きな屈折点であり損失であり「致命的」だったのではあるまいか。


事件そのものも未だに不可解だ、凶器を持った右翼青年が警察の警戒体勢下をどう潜り抜けたのか、少年は事件後自殺してしまって真相は詳らかではないが、事件の背後関係は未だに「闇の中」なのである。


(写真は日比谷公会堂