「権力」と「闇社会」

okamakoto2005-11-08



翻って見ると、日本という国の歴史には、このような時代―「ウイングが左右に振れる瞬間」―に権力と連動した過敏な分子が輩出して事件が起きているのではあるまいか。


青年将校による昭和7年の「5・15事件」、昭和11年の「2・26事件」は日本が戦争に入る予兆のようなものだった。(この事件については3月13日・14日の日記で記した)


岸信介氏は、政治の場でも右翼勢力を活用し続けていた、第2次岸内閣組閣にあたり大野伴睦に「次期政権移譲の密約」を交わした時の立会人は「右翼の大物児玉誉士夫氏」であった。


その密約書では「安保改定直後には退陣して必ず大野さんに政権を渡す」とあり、岸、佐藤(栄作)兄弟は大野伴睦に手をついて頼んだのだそうである。


尚、結果的には岸氏はこの約束は守らなかった、その事もあってか後日になって岸氏は右翼に切り付けられ重傷を負った事件が起きている。


安保闘争の際には「左翼対策」として首相・岸氏は「右翼勢力」や「仁侠世界」に協力と助力を求めたという、日韓交渉でも右翼が騒ぎ立てた。


それまで、あくまで裏社会の「右翼」や「ヤクザ」の存在だったのが、政治や一般社会で堂々と動き廻り介入するようになったのは、多分この時期からではあるまいか。


敗戦直後昭和20年代の日本には、廃墟の中ではあったが非軍事化・民主化の新しい潮流と息吹があった、それは実に新鮮で希望に満ちたものであった。