「佐藤不逮捕」の指揮権発動


そもそも佐藤栄作氏は東大卒業後、旧鉄道省(後運輸省)に入り、鉄道官吏として運輸事務次官まで登りつめた役人タイプの典型的な「能吏」であった。


昭和29年第5次吉田内閣で当時自由党幹事長に就いた佐藤氏は、造船疑惑事件で「収賄容疑」で検察庁から逮捕状が執行される事件が起きた。


時の法務大臣は犬飼健氏、その時初めて法務大臣検事総長に「佐藤不逮捕」を指示したのである、世に名高い「立法から司法」への「指揮権発動」である。


これによって「佐藤栄作氏」は逮捕を免れ、その後の政治生命を断たれる事もなく、後の岸内閣では大蔵大臣、池田内閣で通産相に就き39年総理の階段を登りつめて行くのである。


この「指揮権発動」は司法が政治権力に屈した日本の政治史上画期的(?)「屈折点」となった、これ以降、政治家の「政治と金」をめぐる事件には検察も及び腰となり、日本の政治腐敗は日常化してしまった。


佐藤後を継いだ「田中角栄内閣」で政権の「政治とカネ」、「政・官・業癒着」、「汚職の構造」は恒常化するのだが「佐藤不逮捕」はその先鞭を作るものだった。



(写真は東京・三田の慶応大学校舎内風景)