「沖縄返還」交渉

okamakoto2005-11-10



佐藤栄作氏は7年8ヶ月にも亘る長期政権を「沖縄返還」を花道にして、昭和47年6月17日引退を表明した。


奇しくもその当日は、「ウオーターゲート事件」がアメリカで発覚した日に当る。ニクソン大統領はその事件2年後、マスコミと世論の攻撃の前に辞任に追い込まれている。


日本の首相官邸では、当日「佐藤首相辞任の記者会見」は異様な雰囲気に包まれていた、記者団が「沖縄返還交渉」での「日米秘密協定」について手ぐすね引いて厳しい質問を予定していたからである。


機先を制し、佐藤首相は「新聞記者諸君は出て行ってくれ、NHKテレビはどこだ」、と叫んで新聞記者を追い出し、テレビカメラに向けて辞任を表明したのである。


辞任表明の、つい2ヶ月余り前の3月27日、衆議院社会党議員が爆弾質問した事件で、佐藤政権とマスコミとが激しく対立した。


沖縄返還交渉には重大なウラ秘密協定」がある、と言う毎日新聞のスクープ記事で政権は窮地に立たされた。それでなくとも当時から、沖縄返還には「ウラ」があると専らだった。「ナワ(沖縄)とイト(繊維)との取引」とも言われた。


直後、毎日新聞の西山記者が外務省の女性職員と共に「国家公務員法違反事件」で「逮捕」される事件が起きた、その上で国家的事件は「全く次元の低い」男女問題にすりかえられてしまったのである。