マスコミの屈服


日本人は次元の低い問題にされると,特にテレビは煽情的に反応し,権力に立ち向かうべきジャーナリズムも「競争意識」が先に立ち腰が引ける。


結果的には,新聞社は記者を擁護せず、国家権力に立ち向かわず、「政治権力に屈服」して「一件落着」となった。


沖縄返還を巡る「日米密約疑惑」は、ウオーターゲート事件で大統領を辞任に追い込んだアメリカと、日本の民主主義レベルの違いと、日米権力とマスコミの力関係を際立たせるものとなった。


同時に佐藤政権以降、マスコミが「権力の監視」役から、「権力追随」の役割に堕してしまったように思える。


現在,月刊「文芸春秋」誌上で、山崎豊子さんが当時の経緯を丹念な取材を基に小説「運命の人」として連載されている。


小説「運命の人」では、佐藤内閣の陰湿な権力行使の実態と、警察権力の巧妙で過酷な取調べの模様が実に克明に描写されている。


「岸・佐藤兄弟内閣」は、兄岸氏で実質的に日本を「米軍基地化」「隷属」を、弟で「マスコミ従属化」を成し遂げ、「民主主義の芽を摘んだ」歴史にも残る悪政の11年だった。


(東京・三田慶応校舎の校内風景)