農村「近代化」の代償


何故そうなったかと言うと、その原因は「都市化・近代化」の波で、昔からの農村特有の「相互扶助」「助け合い」関係が崩れてしまった事にあるように思う。


昔は一旦「冠婚葬祭」となると,近隣・集落一同が「助っ人」となり、「賑々しく御膳立て」して、家人には一切手を掛けさせないくらいだった。


処が、今は「少子高齢化」で農村から若者がいなくなってしまった、加えて後述する経済的事由で、各家庭のご婦人も、初老の男子もパートや季節労働で働きに出て、各家庭には足腰立たない老人しかいなくなってしまった。


「相互扶助」「助け合い」の人がいない分、葬祭当事者の「遠慮心」から、「大邸宅」を使わず、都会から進出している「近代的ホテル」や「葬儀場」に一切依存する事になる。(普通一般に200―300万は掛ると聞いた)


従って、その分「冠婚葬祭等の付き合い費」もそうだが、農村の一般家庭の現金出費が昔とは比較にならない多額を要する現状となっている。


「構造変化」で農業収入は全く家計の足しにはならず、それでも「文明開化」のお陰で、出費だけは都会以上に掛るようになっている。


先ず、殆どの家庭には最低でも車が1−2台はある。車と言っても都会のように「贅沢品」ではない、農村では通勤・買い物に車は移動手段として必需品なのだ。


専業農家は数える程しかない、農外収入主体の「兼業農家」にとって、農業用の小型四輪,トラクターも必需品の一部である。


農村は一見優雅に見えて、その実は、「近代化の代償」を、想像以上に重く厳しく背負っているように見える。


おまけに、極端に「市場経済化」が進んだ近年の日本では、農村から昔からの「相互扶助精神」や固有の「人間関係」を奪い去ってしまったように感じる。



(初冬の北陸・立山連峰がくっきり)