「欲望」の世界

okamakoto2005-12-08



元々、市場経済下での人間は、際限のない「欲望の虜(とりこ)」になる。「百万円」の金を持つ人間は「一千万円」に、「一千万円」の人は「一億円」に、「一億」の人は「十億円」に、「百億」の人は恐らく「一千億」にもしたい、となるのが人間の性(さが)ではあるまいか。


本来「通貨」はモノや労力に対する対価=交換手段として、知的に発達した人間世界だけで発明され発達して来た「道具」である。


「道具」としての「通貨(カネ)」は、交換対象物が多様であり「運搬」も可能、おまけに「貯蔵」も出来るので便利さで重宝してきたのである。


処が、近代商業主義社会では「利子・利潤」いう概念が出てきて、金を「貸し」たり、運用のうまい商人などに運用を任せることから「利益」を得る手法が発達した。


本来、人間以外の動物世界では、虎や豹のように凶暴な動物も、「エサ」にありついて満腹すると「目の前にエサ」があっても見向きもしないと言う。


処が、「市場社会の人間」は「欲望のかたまり」のようになった。(尤もイスラム社会では現在でも「利息は罪悪」とされている由)