「夢」と「落とし穴」


「バクチの世界」には「万に一つ」だけれども「大当たり」すると言う「夢」がある、実際には実に確率の悪いものだが、追い詰められてくるとその「夢」にすがり、期待をかけるしかなくなる。


人間は何時も「夢」がないと生き続けられないものであり、窮した時見るのは「夢」であり、頼りにするのは「バクチ世界」ではあるまいか。


想像するに、前記の彼等も最初の段階で多少の「儲け」が出たのかもしれない、儲けたら儲けたで「はまり込む」だろうし、損をしたら損をしたで「のめり込む」のだろう。だからこれは「悪魔の落とし穴」だと言える。


この「悪魔の落とし穴」―「バクチ社会」に一旦落ち込むと、「万に一つの夢」を見て、余程意志強固でないと抜け出せなくなってしまう。


「夢から覚め」「ゲームから抜け出す」と言う事は、即、その時点で「身の破滅」を認め、現実にかえり「地獄」を見る事である。


「勝負の神」にはみじんも「公平感」や、ましてや「慈悲心」はない。「バクチ世界で栄冠」を手にするのは(昨日記したような「アラブの大富豪」のような)「余裕のある富者」であって、「あがき苦しむ」弱者ではない。


自由商業経済・市場経済社会は「弱肉強食」の非情なゲーム社会、「富める者は富み」、「貧しい者」は、焦れば焦るほど「貧(ひん)」して行く。



(写真は東京・日比谷公園初冬の噴水)