「勝ち組」「負け組」

okamakoto2005-12-24



「勝ち組」「負け組」なる表現は実に低俗な差別用語そのもので、このような言葉が巷(ちまた)だけだけでなく、国会等公の席で出ること自体、現代の不幸な時代を象徴しているように思う。


確か、アメリカ帰りの竹中平蔵氏が小渕内閣で「経済戦略会議委員」として政治世界に頭角を表わし始めた頃、この思想と言葉を持ち込み日本中に広めたように記憶する。


特に、小泉内閣竹中平蔵氏が主導する形で「強者の論理」が国の政策として取り入れられ加速され、諸法制の制定や改正(改悪)が次々に実施されて来た。


それ以来「金持ち」と「貧乏人」、「資産ある者」と「資産のない者」の階層的格差、更には「都市」と「地方」の地域格差、及び「大企業」「中小・零細企業」企業間格差にまで拡大傾向となった。


「機会不平等」のまま、親の所得・資産格差が子供の教育・学歴から更には次世代の結婚・職業にまで及び、政治家稼業、企業社会全般までも固定化し、その連鎖はさらに拡大する傾向さえある。


このように今の時代は、国民が「強者」「と「弱者」とに分断され、極端に「両極化」傾向が強まっている、このような時代と言うのは、日本の過去の歴史でもかって無かったのではあるまいか。