将来展望を持てぬ政治


要は、これらは女性に向かって「産めよ増やせよ」という掛け声ではないのか。それによって、全くの個人的な問題である「出産」がこれで増えるとでも、本当に思っているのだろうか。


先日記した内閣府が大枚の金をかけて東京タワーに作った「感どうする経済館」もそうだ、要は「やっていますよ」と言いたいのだろうが、幾ら掛け声をかけても、それによって何一つ課題が解決されるものではない。


問題はただ一点、「今の政治」に「将来に向けた展望が持てない」からなのだ、今朝のニュースで小泉首相が「日本橋の高架を地下道」にするなりして「明るい空を見えるようにしたい」、と言うものだった。


確かに見苦しいのは誰でもそう思ってはいるのだが、一地方の(と言っても日本の首都のど真ん中ではあるのだが)、一点だけを明るくしてその事で日本が変ると言うものではなかろう。


然しそれら総ては、正に「政治の無能・無策」が引き起している「現象」であり「結果」なのだ、少子化にしても、たとえ女性が子供を産んでも、その子供に将来不安がある以上、誰も不安の種をこれ以上増やしたくないだけなのだ。


自殺者にしても、仕事にありつけず、或いは失業し、一家の生活苦から思いつめて、苦しみ悩んだ挙句の事だろうから、将来に希望が持てる国にすれば当然思い留まるに違いない。


政府がやるべき事は、国の実情をも含め「国の将来像」と、そこへの「道筋を具体的に明示」し、その上で国民に協力を求めていく事だ。


それには先ず、政治家が率先し、政界・財界・大企業・金持ち・資産家の「強者」が「最も大きい負担を負う」ことを明示し、自ら身を切る事ではないのか。それこそが「政治の役割」である。



(写真は新装のJR京都駅内部を上階より俯瞰)