「強者による弱者いじめ」の年


この年、(2005年)一体何が起きたのであろうか、一言でいって「強者の弱者いじめ」だった、と言ってよい。


自殺者も多かった、多分記録的ではあるまいか。事故や自然災害、それに犯罪も多かった、それも無抵抗の女の小学生を襲って殺した事件のように「弱い者が狙われた」事が特徴的なことだ。


金儲けのために「詐欺的商法」を駆使したり、虚業で手にしたカネで他人が汗して築いた会社の株を買い占めて大儲けしたり、それを誉めそやしたりもした。


「相次ぐJR事故」も、「利益最優先の民営化」の結果であれば、下請けいじめの「構造計算書偽装事件」もそうだ、政治献金をせしめたり、巨億の財を築いた「巨悪」は決まって隠れてしまっている。


何れは、善良な人々が「大火傷」をするのを判りながら、「金利ゼロ政策」を持続させ、「バクチ場」に国民を誘い込んでハゲタカの餌にする事もいとわない政治。本来それは「犯罪的行為」と言ってよいものだ。


本来、「強い者をたしなめ」、「弱い層を護り助けていく」のが「政治」の役割なのに、逆転した政治をやったのが小泉―竹中政治だった。


そもそも、大国アメリカブッシュが根拠のない理由をつけて「資源盗り」で他国に攻め入り、その不正義に加担、隷属した政治が日本人の「和を尊ぶ心」と「誇り」を喪失させた事が大きい。


一人の「トップ選出」と言うのは、如何に大事なものか、厳粛でなければならぬものかを、しみじみと感じさせてくれたこの年だった。


「ムリが通って道理が引っ込んだ」と言ってよい、正にこの年は、何と言っても特異な性格を持つ「トップリーダー」が、絶対に「壊してはいけない」日本の「伝統的なもの」までも壊した年だった、と思う。



(写真は京都・西本願寺正面)