「若ければ良い」と言うものではない


この事を書いたのは他でもない。民主党が「70歳定年制を厳格に実行する」、との記事を見たからである。(30日付読売朝刊)。


40代若手中心で執行部を構成した前原党首の考えからであろうが、真の意図が何処にあるかは別にして「大変問題あり」、と感じている。


小泉首相が80歳台の中曽根・宮沢両氏に引退を迫った結果、自民党と議会に「ご意見番」がいなくなり、今の小泉専制政治が一段と先鋭化して行った経緯があるように思う。


果たして政治家には「年齢的若さ」が絶対的な要件なのだろうか、前原氏が「小泉チィルドレン」に触発された訳でもなかろうに、むしろ、今、問題にすべきはむしろ政治家の「世襲制」ではあるまいか。


「地盤」「看板」「かばん」を基にし、「世襲」で、政治が「家業と化し」「美味しい稼業」をリレーし、子孫に引き継ぎ、比例して日本の政治が劣化してしまっているように感じている。


世襲政治家」には共通に、「我儘・自分本位」で「庶民の事が判らず」、「特権意識」だけが突出しているように思う。小泉・安倍もそうだが、今の自民党首脳はおしなべて問題ありだ。


それや彼やで、日記に一区切り付けるつもりだったが、来年は多少ペースを緩めながらも、「云い続け」て行かねばなるまい、と考えている。


来年こそは、「まともな正義」を取り戻し、「未来に希望の持てる国」にさせたいものだと願いつつ、筆を措く。



〔京都・東本願寺―家康が宗教界を分割統治する意図で西=秀吉=に対抗して寄進)