「密室協議」


青木幹雄氏が小渕氏から「自分に後事を託された」としてホテルに5人の自民党首脳を招集、善後策を協議する。「密室の協議」と言われるのがそれである。


青木幹雄官房長官)・森喜朗(当時党幹事長)・野中広務自民党実力者)・村上正邦(当時参議院会長)・亀井静香政調会長)の5氏である。


急遽その場で、青木が「臨時首相代理」に就く事を決め、後継総裁を誰にするかの話し合いになった。その場で青木氏の大学後輩「森善朗氏」にバトンタッチする事が決まった。


翌々4日、「青木臨時首相代理」の下で閣議召集、全閣僚の辞表を取りまとめ小渕内閣総辞職、5日自民党は衆参両議院総会、午後衆議院本会議、首班指名選挙で森内閣が発足した。


尚、小渕恵三氏はそれから1ヵ月後の5月14日病院で死去されたのだが、病院関係者によれば入院当時、小渕氏は意識不明状態でとても喋れる状態ではなかったのだという。


政権に就いた森氏は突発事故等への対応も悪く「暗愚の宰相」とも称され、世論の支持率10%台と「ワースト記録」を作り、1年余で辞任(01・4・26)した。


その「森親分」の後を継いだのが他ならぬ「子分の小泉氏」だった(当時小泉氏は事務局長)。その折の自民党の大勢を「小泉支持」にまとめたのも「キングメーカー」の青木氏だったと言う。


日本は「民主主義国」を自認している、然し、国のリーダーの選出が、このように「密室」で決められていて、残念ながら真の「民主主義国にはほど遠い国」と言わざるを得ない。



(写真は京都・南禅寺