竹中式政治手法

okamakoto2006-01-13



小渕氏急死後総理に就いた森内閣のもとで竹中氏は総理官邸に大接近する。国民から不人気な森首相が、結果的に竹中氏を最も信頼する立場に置いたからである。


森内閣では「IT戦略会議」で主導的な役割を果たし、更に森総理のブレーンとして国際会議での首相の振り付け役から国会での総理所信表明演説の草稿作りまでやってのけた。


前後して竹中氏は(旧国際研究奨学財団改め)「東京財団」理事長に就き強力な「金づる」を手にしていた、この財団は「競艇界のドン」笹川良一氏創設の豊富な資金力を有する「シンクタンク」であった。


このシンクタンク理事長として、九州沖縄サミットを控え、森内閣の「プレサミット」との触れ込みで日米両国首脳陣を集めた豪華メンバーでのシンポジウムを開催した。


アメリカからはキッシンジャー国務長官、ボルカー元FRB議長等、錚々たるメンバー招致に成功しシンポジュームは大成功をおさめる。


実際は東京財団の金をふんだんに使ってのシンポジュームであったが竹中氏はこのような機会を通して日米両国の首脳に強烈な政治手腕を印象付ける事に成功しているのである。


このように「竹中的政治手法」というのは「機を見るに敏」で「権力者」に取り入るのがうまく、組織を時流に合わせて「利用する術」に長けている、と言う事ではあるまいか。