ご法度(ごはっと)事


さて、困った、銀行寮には「万一の為の家族用座敷」はあるが一日や二日なら兎も角、ここ当分となると前例もない事だ。


然し困った顔も出来ない、暫し考えた末、「よし、君も男だ、一旦決心して出た以上俺も協力する」、「その代り、昼間は出掛けてくれ、夜だけここで泊まれば良い」と。


実は、彼はその日以来、結局20日近く「わが家(一室)で「居候」する事となったのである。


勿論、彼も辛かったであろう、後で聞くと毎日おばさん(二人)から嫌味を云われたそうだ、彼は皆が出払った後出掛け、「住み込みの働き口」を懸命に捜し歩いていた様子だった。


自分も、当時若輩ながら貸付係、何人かの顔見知りの取引先に「臨時で良いから住み込みで雇ってくれないか」と内緒で頼んでみたりしていた。


然し当時は、朝鮮戦争が終って間もなく、海外引揚者も多く、巷には失業者が溢れ、日本中不景気風が吹き荒れていた。


又、その頃に銀行では政治問題ともなった「歩積み・両建て問題」が起きて、6人の貸付係は大忙しとなっていた、「貸付先調査票作成」の事務が入り、おまけに「大蔵省検査」までが加わった。


他の行員が5時に帰宅しても「貸付係」は毎晩残業で、連日の朝帰り、日曜出勤が続いた、睡眠も3―4時間、寮で仮眠したと思ったら「おばさん達」に起され、朝食もそこそこに出発せねばならない。


「先に寝ていてくれ」と言ってあったのだが聞かず、彼は律儀に二人分の床を敷いて毎晩寝ずに自分の帰りを待ち続けていた。


彼には「銀行は3時に正面の扉が閉まってしまうのに、何故毎晩遅くなる」のか、どうしても理解出来ないようだった。


その内、「他人を泊めている事」が支店幹部の耳にも入ったようだ、内々に庶務係長に呼ばれて「事情聴取」されるまでになった。