「日本唯一」のラジオ放送


当時は、民間放送やテレビも全くなく、ラジオはNHKの独占事業、彼の最初の持ち番組は全国向け教育番組で好評の「現代科学講座」だった。その時々の「トップクラスの科学者」や世界的学者を次々呼んで対談しながら彼が話を引き出すものだ。


S君独特の穏やかさと軽妙さで、生真面目な先生方から上手に難しいことを易しく引出し語り合う番組は当時、大変好評で長寿番組として全国に視聴者も多かったそうだ。


自分も「コンピューター」なる言葉さえも聞き慣れない時代に、この番組を聴いていて「突拍子のない世界が来るなー」との印象を持ったのもこの時だった。


彼の結婚式はホテルオークラで、晴れ晴れしく満面の笑みを湛えた母やご兄弟・親戚揃っての盛大なものであった(お父さんは晴れの場を見ずに亡くなられた)。


NHKからは当時全国的に有名だった藤倉修一さん、高橋圭三さん、等々錚々たるメンバー諸氏アナウンサー20名近くも出席され、ご職業柄軽妙な祝辞や笑いと賑やかな雰囲気に終日包まれていた。


その際、「友人代表のでスピーチ」を頼まれ、名スピーチが続いた後だけに、我ながら言葉も上ずりすっかり上気した事を、半世紀も経た今も赤面の思いで想起する。


当時の勤務は北陸であったが、「兎も角来てくれ」とのご家族のたってのお願いを入れ馳せ参じたものである、結婚式の前日に彼の家で泊まり、彼と床を並べて結局一睡もせずに一晩中朝まで語り明かした。


今でも奥様から合う度に、「お蔭で新婚旅行は夫はぐうぐう寝てばかりだった」と、恨めしげに、然し実際は笑って云われているのである。