メーデー


5月1日は「メーデー」、最近の若い人には、連休続きの「ゴールデンウイーク」の一日と連想されそうだが、昔の我々には5月初日は「メーデー」であった、懐かしい響きがある。


メーデー中央会場は、近年は代々木公園のようだが戦後昭和30年代は確か日比谷公園だったと記憶する、勤務先の組合の指示で職場の先輩達と共の参加した。(昭和27年の「血のメーデー事件」を境に、皇居前広場での集会は禁止された。)


当時のメーデーは「労働者の祭典」で、会場一杯に幟やプラカードを手にした労働者・若者達で立錐の余地もないくらい溢れかり、連帯感も醸成されていた、単に若者だけでなく社会一般が実に若々しく希望に満ちていた、。


その後の時代も、学生や若者達は実に純粋で行動的であった、昭和30年代の安保反対闘争、40年代の「ベトナム反戦運動」、沖縄返還交渉での「核反対運動」、新宿西口広場での平和集会等、常に学生・若者達が、時代の先頭に立っていた。


単に時代の変遷といって良いのだろうか、今の日本の取り巻く環境は当時と比して数段深刻で切迫した状況と思える。日本には昔から「平衡感覚」と言うのがあった、「左にぶれると右に」と言う風に。


若者もそうだが、一体、日頃は「愛国者面」をしている「右翼団体」と言うのは、日本が「アメリカにやられっぱなしの非常事態」に怒りを向けないのか、ただ単に手を拱いて傍観しているだけの存在なのだろうか。



(写真は東京高尾山頂から奥多摩方面を望む)