税制の崩壊

okamakoto2006-05-25



税が政治主導になって、国の運営は論理性を欠き、力ずくの無責任体制になったと感じている。そのコストは計り知れないものがある、損失の大きなものの一つに大蔵省エリート集団(シンクタンク)のモラール(士気)の喪失がある。


大蔵官僚のモラール喪失は、その後の橋本行革で決定的になったと見る、橋本竜太郎首相は行革を政策の柱に据えて省庁再編を行なった、官僚の力を削ごうとして従来の24省庁を半減させ12省庁にしたのだが中味の削減は全く手付かずで数だけの半減で終った。


橋本首相の意図は、政策立案の権限を、「官僚から政治家へ」だった筈なのに、歴史のある大蔵省の名前を「財務省」に変更する事にこだわり続け、それを貫いた。


勿論、その当時の大蔵大臣だった宮沢喜一氏は伝統ある「大蔵省」名を「財務省」に改称する事に反対はしたのだが、宮沢さんの弱さは最後まで自分の意志を貫かない事だ、「単なる名前の問題ではないか」、と考えたのだろう。


然し政治の力で、「大蔵省」がアメリカに倣って「財務省」になった事は、結果的に誇り高き大蔵官僚の自尊心を傷つけ使命感を失わせる事になった。


大蔵官僚は国の財布を預かっていると言う責任感と使命感が彼等の心の支えだったように思う、かって或る大蔵省主計官は「新幹線計画」を「昭和のバカ査定の一つ」と一蹴し、「高速道路網計画」では「歴史の笑いものになる」と、政治圧力に抵抗し続けた歴史がある。


「税」は本来「論理の世界」である、いくら「政治主導」といっても譲れるものと譲れぬものがある、優秀さを自認する大蔵官僚も、そう度々妥協を強いられ税理論も伝統までも切り崩されては士気にも影響しないとは言い切れないだろう。


日本は長らく所得税法人税などの直接税を柱とし「応能負担」を原則として来た、所得の大きい層に多くの税金を負担してもらい、所得再配分機能を生かして弱者・低所得者への目配せも計って社会の公正さと正義を保つように努めて来たのである。


ところが財界・産業界からは「日本は社会主義国か」「これでは国際競争力に負ける」との圧力が終始大蔵省・政府へ向い、大企業、高額所得者からの減税圧力は年々激しくなって来た。


それまでも分離課税の拡大(配当所得の総合所得から分離課税へ)や租税特別措置新設等で、税の基本理念への侵食は進んで来ていた、例えば所得税最高税率及び税率の刻みは下記のように推移して来ている。


1986年(昭和61年)    最高税率    70%   15段階
1987年(昭和62年)    最高税率    60%   12段階
1989年(平成01年)    最高税率    50%   5段階 
1999年(平成11年)    最高税率    37%   4段階