「革命」と「ナポレオン」


ナポレオンはフランス革命の成果を軍事的征服でヨーロッパ全域に広めようと試み、イギリスでは失敗したがドイツ・イタリア・オーストリアプロシアと進撃、ロシア遠征で敗退した、ナポレオンは最終的には南大西洋上の孤島セント・ヘレナに流刑され1821年5月51歳で失意の生涯を終えている。


然しフランス革命から生れ,ナポレオンによってヨーロッパ諸国に広められた近代化への動きは,19世紀には、産業革命と西洋自由主義,国民主義の運動を展開させる切っ掛けとなった。


フランス革命の当初の原動力となったのは、「新しい社会をつくるには実力行使しかない」と悟ったフランス市民たちの意識だった。市民が武器をとって立ち上がったのが1789年7月14日のことである。(当日はフランスでは「革命記念日」,日本では「パリ―祭」と称されている)


歴史的にはこのフランス革命が契機となって、アメリカの独立運動ロシア革命、更には今日の民主主義社会へ移行るる流れとなったように思う。その意味では「フランス革命」は、歴史の先導役だったのだろう。