「革命」の「犠牲者達」


この革命によって悲劇的運命を辿った人も多い、その最たる人が、オーストリアのハプスブルグ家からブルボン王朝のルイ16世に嫁いできた美貌で知られるマリー・アントワネット王妃だった。


悲劇の女王、マリー・アントワネットがパリの広場で断頭台の露と消えたのが革命から6年後1793年の10月16日の事だった。我々がパリ―観光で決まって案内されるのがその処刑場跡のコンコルド広場である。


今回の展示ではルイ16世、王妃の清楚な肖像画、その他豪華を極めたヴェルサイユ宮殿居室のミニチュア、及び愛用のダイヤ・金銀まばゆい王冠や豪華な調度品等が展示されていた。


ナポレオンはヨーロッパ各地を転戦し,最後はロシアで冬将軍に敗退したが,この戦争でフランスは実に200万人の戦死者を出し,以降フランスの人口は減少を来たしている。


然し、反面ナポレオンが遺した法体系・政治・軍事といった遺産はその後の世界に大きい影響を与えた、中でもナポレオン法典は有名である。


ナポレオン法典はその後修正を加えながらもオランダ・ポルトガルや日本等の民法にも大きい影響を与えたと言われる、フランスでは現在に至るもナポレオン法典が現行法だと聞く。


さて、自分自身は歴史にも疎く,世の中を複眼で見ることにも欠けて来たと感じている、然し今回の展示会を観て「歴史から学ぶ事の重要性」に気付くと共に「国を変える」のは、結局「民衆の自覚に尽きる」と思った。


「ローマは一日でならず」の諺があるように、現在のヨーロッパは、多くの先人の血塗られた犠牲と遺産の上に立って確実にあるべき方向に一歩一歩,前進しているように感じている。



(写真は「ナポレオンとヴェルサイユ展」パンフレットから)