日本の「戦陣訓」


日本軍には「戦陣訓」と言うのがあった、天皇から「軍人に賜りたる勅諭」から具体的に「行動基準」としてまとめられたのが「戦陣訓」で、第8章には「名を惜しむ」がある。意訳すると下記のようになる。


「常に郷里の人達や親戚、家族の名誉を思い、その人達の期待に応えなければならない、捕虜として生きながらえて郷里の人達に恥ずかしい思いをさせるよりも、いっそ死んで「罪人」としての汚名を後に残さないようにしなければならない」と。


「俘虜」になるのは「罪人」だった。その「戦陣訓」の基礎になったのが「5か条の勅諭」(天皇の言葉)である、第一条には,「1、軍人は忠節を尽すを本分とすべし・・・一途に己が本分の忠節を守り、義は山岳よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ・・・」とある。


あの当時は「国民皆兵」の時代だった、軍人は毎朝5か条を斉唱していたし、我々も暗誦させられていた、日本軍は天皇の為、最後の一兵まで戦って死ぬ」、と幼少期から全国民に叩き込まれて来ていたのだ。



(写真は東京上野公園内の噴水)