残念な事「けじめ」


この内容に就いては次回に譲るとして、今日は先ず自分の天皇への思いから記しておきたい、色々資料を読み解く内に「トップの孤独」さに思いを致す。戦前戦後を通じ最高責任者としての天皇の苦悩のほどが偲ばれる。


多分開戦に際し天皇も勝利には自信はなかったのだろうと思う、宮様内閣に反対したのも「勝利」が確信できなかったからに違いない。「皇族内閣として開戦すると天皇家に累が及ぶ」、として止むを得ず「東條にした」、と「独白録」でご本人も仰っている。


開戦決断の最終段階では軍首脳部から「勝利のシナリオ」を示され、11月頃からは天皇は上機嫌だったと「杉山メモ」・大本営陸軍部第20班日記の記録にある(昭和天皇「独白録」68―69ページ)。一縷の望みをそれに託されたと思う。


むしろ自分が残念に思い問題としたいのは、「開戦」と「敗戦」は止むを得なかったとしても、何故戦後の適当な時期に「ご退位」の決断をされなかったのか、である。


天皇は賢明な方だったと思う、然し、何故ご自身の最後の進退について決断されなかったのか、「開戦の最高責任者」として「敗戦」の責任をお取りにならなかったのか。


その事が、この国のその後、今日に至る「道徳感」の欠如、物事の「けじめのなさ」に決定的影響を及ぼしている、と愚考し、残念の思いを強くするからだ。



(写真は皇居前広場=敗戦時、この広場は号泣する人々で埋まった)