戦後の昭和天皇

okamakoto2006-08-05



連合国軍総司令部GHQ最高指揮官としてマッカーサーが厚木に降り立ったのが敗戦後約2週間後の8月30日だった。


天皇が日比谷皇居真正面に位置する第一生命ビルGHQにマッカーサーを訪ね初会見したのがマッカーサー到着後約1ヵ月の9月27日であった。


初回訪問の際に、天皇マッカーサーが並んで立った姿が全国の新聞にデカデカと報道された、その時、我々は一様にある種の屈辱感と共に、初めてこの国が敗戦した事を実感したのだった。


天皇がモーニング姿で緊張し直立不動で立っている横で、平服のマッカーサーはリラックスした姿勢で腰に手を当て立っている、その上マッカーサーは背丈も高い。


それまでは国民にとって天皇は勿論「雲の上の神」としての存在だったし、ご真影(天皇の写真)は、平素は鉄の扉の「奉安殿」に安置されていて、滅多な事では拝む事も出来なかった。


初回の会見では、天皇が「戦争について詫びた」と後刻知らされた、マッカーサーは、天皇のその真摯な態度に心を動かされた、と伝えられる。勿論初会見は挨拶程度だったのだろう。


記録では天皇は、マッカーサーとは、その後総司令官として在任した約5年半の間に、前後11回にも亘って会談している。然し、注目される天皇マッカーサーとの会見の詳細は日米双方とも正式な発表はない。特に日本の宮内庁・外務省は現在に至るも一切口をつぐんだままなのである、


今回アメリカ側の公開資料等の中で、その一部が明らかになっている、主要な個所を出来るだけ時系列的に見る事としたい。(尚、天皇が象徴制になった「新憲法」公布は敗戦翌年1946年、(昭和21年)11月3日である。)