天皇の「メッセージ」


憲法発布の翌年、1947年(昭和22年)アメリカに向け「天皇メッセージ」が発せられている、その中で「アメリカに沖縄を軍事基地として50年ないしそれ以上貸与する」とある(「世界」8月号254ページ)。


敗戦4年後に当る49年11月の会談で天皇は「ソ連による共産主義思想の浸透と、朝鮮に対する侵略等がありますと国民がはなはだしく動揺するが如き事態となります事を恐れます」とマッカーサーに言上している。


又50年4月の会談では「日本共産党は国際情勢の推移に従い、巧みにソ連のプロバガンダを国内に流して国民の不満を掻きたてようとしているように見受けられます」と語った。(「世界」8月号247ページ)


マッカーサーは51年、昭和26年4月11日トルーマン大統領によって解任されている、朝鮮戦争での戦術的意見の違いからだったと言うがアメリカ民主主義の健全性なのだろう、在任期間は約5年半であった。朝鮮戦争は53年7月に休戦協定が締結された。


53年(昭和28年)4月20日、離任するロバート・マーフイ―駐日大使に面会した際、天皇は「朝鮮戦争の休戦や、国際的緊張緩和が、日本の世論に与える影響を懸念している。米軍撤退を求める日本国内の圧力が高まるだろうが、私は米軍の駐留が引き続き必要だと確信しているので、それを遺憾に思う」と述べている。


更に、翌々55年8月、訪米を控えた鳩山内閣の重光外務大臣に「日米協力・反共の必要、駐屯軍の撤退は不可なりと」と同様の意見を述べている。(重光葵手記)


1956年(昭和31年)2月28日、駐米大使に任命された谷正之は赴任に先立ち天皇に面会し、その際天皇からメッセージを託された、谷大使は、これが大使として「何よりも重要な事だ」と受け止めた。(米国立公文書館所蔵資料)


その上でダレス国務大臣始め国務省幹部と会談した際に、先ず天皇のメッセージを伝えている、「アメリカの援助により、日本の防衛と経済が改善した事に満足しており、二国間の協力が継続する事を希望している」、と。


これに対しダレスは「このメッセージは大統領に伝える」、とし、同時に「日本の安定と統合において天皇が果たしている重要な役割」に言及し、「天皇の影響力は重要である」と、応じている。(「世界」8月号249―250ページ)

(以下次回)


(写真は東京日比谷・皇居前旧GHQ本部のあった第一生命ビル)