隣国との関係


これは国と国との関係でも云える、最近の事例では日本と隣国中国や北朝鮮との関係だ。地理的にこれらの国々とは歴史的に関係も深く将来とも「孫子の代」どころか、「未来永劫」に付き合っていかねばならない関係にある。


ところが最も距離的に近いこれらの国とは近年格別ギスギスしている、北朝鮮とはかって日本領に編入した期間もあって朝鮮半島とは人の交流も濃密だった。ところが南半分とは正常化したのに北とは国交も未正常のままである。


折角小泉さんが首相就任後の初仕事として「日朝正常化」を目指し、訪朝して金代表と握手をして「日朝ピョンヤン宣言」まで出し、拉致家族五名の帰国も果たしたのだった。


然し、拉致問題のこじれから、相手国への不信感が募り「経済制裁発動」だの「入港禁止」だのと騒ぎを大きくして徒に相互不信を募らせている。


おまけに「拉致被害者の会」が、アメリカ大統領に直訴するまでにエスカレートしてしまった。北朝鮮テポドンか、デボドンか知らぬが発射実験をした事で一層先鋭化してしまった。


国と国との関係も隣人と同じく理性で感情を抑制しあって、相手の立場にも立ってみて行かないと「不信の連鎖」が更なる次の不信を呼び込み、結果的に悲劇の基ともなってしまうように懸念する。


朝鮮民族は、元々が儒教の国で誇り高き国柄、決して独裁政権が良いとは思わないが、朝鮮戦争以降同一民族で南の「韓国」と北朝鮮に分断された現状は、日本にとっても実に不幸な事だと思う。


夫々の国の政権は夫々の国民が選択するもので、他国からとやかく言うべきことではないが、国家統一が民族の悲願であれば、隣国として手助けするのがむしろ長い目で見て、尊敬される隣国日本の役割ではあるまいか。


悪の枢軸」とアメリカに云われ、そのアメリカの手先で軍事基地を強化している日本は、向こうから見れば最も危険な存在として、対抗意識を剥き出しにせざるを得ないのはよく理解出来る。


米朝両国の、相互挑発的態度に冷静さを求めると共に、民衆サイドでコメ支援の運動を起こすぐらいの度量を見せていかないと「不信の悪循環」は容易に融けそうにない。


日本は本当に「民主主義国」なのだろうか、何故好戦的政治が民衆の人気を博しているように見えるのか,その事について引き続き考えたい。


(写真は東京・五反田、水辺の一風景)