残酷な「戦争の実態」

okamakoto2006-09-05



渋谷の「シアター・イメージフォーラム」と言う座席数僅かに数十席の小さな映画館を探し当て、75才になった自分と、70歳になった妻と一緒に、この「蟻の兵隊」を観てきた。


現在82歳(大正13年生れ)の奥村和一さんの戦争体験を通し、「戦争の真実」を見る大変貴重な実録(ドキュメント)映像である。


奥村さんは20歳で徴兵され、中国戦線中支派遣部隊に配属され、昭和20年の日本敗戦の日を迎えた、然し部隊長から、「日本は決して中国に負けたのではない、この部隊は此処に残り、日本軍の再起に備え『天業』に奉仕するのだ」と指示され、「残置」させられた。


「天業」とは、天皇陛下の仕事と言う意味だが、当時の「天皇」は絶対的な存在だった、『天業』といわれ「絶対命令」と受け止めたのも止むを得ないだろう、『上官の命令は天皇の命令』と叩き込まれた時代だった。


この「残置部隊」が所属・支援していた中華国民軍は結果的に毛沢東指揮下の人民解放軍に敗北してしまう。1949年その毛沢東のもとに「中華人民共和国」が設立され、順次中国全土はその支配下に入り統一されていく。


「残置部隊」も、その間の激戦で2600人のうち約2割550人が戦死している。奥村さん自身も重迫撃砲の直撃を受け重傷、脱出途上人民解放軍に見付かり現地で6年余の拘留と重労働作業を強いられている。


「残置兵」は敗戦後実に久々に日本の土を踏んだのだが、帰国して待ち受けたのは、残置兵は、「彼等が勝手に自分の意思で残ったのだ」とする日本政府の頑なな態度であった。


「自分達は上官の命令に従ったのであって『天皇陛下バンザイ』と言って死んで行った戦友もあった、このままでは死に切れない」、と、当時の上官たちを訪ね真実を求めて立ち上がっているのが奥村さん達である。


奥村さん自身も高齢でありながら、病床にある上官達を訪ねたり、当時の上官に真実の証言を求めたりしている、更には中国現地で証拠収集すべく、中国に渡る事を決意し、これに同行したのが今回映像にしたカメラマン達である。