日本「不幸への出発点」「日中戦争」

okamakoto2006-09-10



映画「蟻の軍隊」の映像からは、当時の日本兵による殺害被害者の証言や、その惨劇の現場を目の前で見た市民の声が「昨日の出来事」のように生々しく語られている。


中国では、昭和6年(1931年)「満州事変」が起き、その後、昭和12年「北支事変」が起き、昭和20年、敗戦まで戦場となった中国では、民間人も含め実に1,000万人もの死者を出した。


昭和6年の「満州事変」後、中国東北部は日本の植民地「満州国」となったのだが、この国は傀儡政権で実質支配者は日本の関東軍だった、従って日本はこの事で国際的非難を浴び続けた。


「組織」―特に「軍」には肥大化の本能がある、関東軍満州だけに満足せず、中国内陸部への野心を絶やさなかった、そこへ降って湧いたのが昭和12年の北京郊外で起きた「廬溝橋事件」であった。


昭和12年7月7日に起きた「事件」そのものは、単純な日本駐屯兵(当時の日本駐屯兵は総数で1800人)と中国軍との「小競り合い」だったが、然し関東軍満州から急遽増派して5800人態勢とした、これを境に事態は急展開する、これがその後「日中戦争」にまで発展した。


当初「廬溝橋事件」にも日本政府は「不拡大方針」だった。然し、満州関東軍も一斉に出動し「北京占領」を果たす、更に11月に至り戦線を拡大し南京攻略にまで至る。「支那駐屯軍」は1800人からこの事件を契機に内地からの増派で翌年には中国への日本軍は実に23個師団70万人規模となった。