微妙な「隣同士」の仲

okamakoto2006-10-30



最近の「北田君と米田君のケンカ」は、一昔前の「日田君と米田君のケンカ」に相似した構図である。現在、北田家へは「米田の子分を任ずる日田」が先頭に立って隣家にケンカを仕掛けている。


「日田」が問題にする「北田家の拉致問題」は、既に四半世紀も経った28年前の事件なのに、日田家では昨日の出来事のように大騒ぎをして、被害者一族が先頭に立ち「北田憎し」で、今にも隣人同士一戦交えそうな様相になっている。


それを煽(あお)る政治も尋常ではない、最も影響力のあるテレビ局に対し、「拉致問題」を放送するように「命令」したと言う、その効果は大きい、事件は、あたかも昨日の事のように連日放送されて、日田家では「反北田感情」が渦巻いている。


日田家にとって「拉致問題」は、確かに不幸なことではあったが、「米田―北田」ケンカの後遺症(28年前)とも言える出来事で、とばっちりを受けた格好だった、何時の時代でも戦争やケンカは人間心理を異常にさせるものだ。


当時、米田家とは遠く離れた北田家と南田家が戦場となったのだが、北田君の米田君への被害者意識と過剰な被害者意識が隣家日田家から10人ほどの「拉致事件」を起させた。


その事自体犯罪行為で弁護の余地もないのだが、その事を言い立てるのなら、それ以前の「日田―米田戦」に於いてのケンカで、一般市民約100万人が米田君の無差別爆撃・戦災等で不法に殺害された事こそ大問題だろう。


米田君にやられた多くの被害者家族は「米田君に負けたのから仕方ない」と思う反面、東洋的に、「恨み(うらみ)に報ずるに徳を持ってす」(老子)、「仇(かたき)を恩にて報ずる」(源氏冷泉節)、と考えた。


隣同士と言えば日田家と中田家も隣続きである、日田家は敷地も家も狭く、そこに大勢の家族がひしめいていて、あふれ出るように日田家から隣接する中田家に入り込み、広い庭の一角を不法に占拠したことが発端である、大勢の人が占拠した敷地に移住したのである。


歴史の長い中田家は、広大な屋敷を有しながらも、使い切れていなかった、一部は既に英田家に貸していた、それに、家族内の主導権を巡り内紛が絶えなかった、その内輪揉めに付け込んだ形で日田家が入り込んできたのだ。


中田家への進出に因縁をつけたのが町内のボス「米田君」である。「中田家の不法占拠を止めて、即刻日田が立ち退かない限り、君には明日から油も食材も売らない」、と。