「米田君」と「日田君」のケンカ


今では随分昔の事になったが「米田君と日田君」のケンカは、当時の大事件だった。ケンカは小柄の日田君が巨漢の米田君にいきなり「アッパーカット」を食わせ、米田君を一瞬ダウンさせた事から始った。


本当は、「ケンカのルール」としては、「やるぞ」とか、「これから、いくぞ」と告げてから「ケンカ」を始めねばならないのに、その時は「日田君」が、いきなり米田君に「一発食わせた」のだから世間の「掟に逆らった事」は明白だった。


然し、日田君にとっては、唯一このケンカに勝てるとすれば「奇襲」しかなかった、体格的にはとても勝ち目はなく、考えた末の秘策の「ノックダウン」戦術であった。


然し、何故日田君が勝ち目のないケンカを米田君に仕掛けたのだろうか、二人がケンカになるまでには、それなりの経緯があった、元々の原因は、米田君から、「付き合いを止める」と通告されたからだ。


日田家は、米田家からの油や食材が買えないと、それこそ「飢え死必至であり、大家族はとても養えない、そうかといっておめおめと占拠した中田家の一角を手放して引き下がる訳にもいかぬ。


進退窮まり、考えた末に採った戦術が「米田奇襲作戦」だった。尤もこれは既に米田側で判っていたと言う説もあるが、最終的には米田から日田家に「花火を打ち込まれ」、日田が降参し、「一巻の終わり」となった。


米田は相手を挑発して、相手から仕掛けさせるのが上手く、それが米田君の常套手段なのだ、今回の「北田挑発作戦」も日田にやらせている。



(写真は晩秋越後六日町付近、夕刻の車窓から)