政権を変えた「米騒動」


近年に入り、「富山の米騒動」は1918年(大正7年)8月、漁村の主婦が立ち上がって、これが瞬く間に全国の「反軍・反政府運動」にまで拡がったものである。


当時、米の値段が米相場の高騰を受け4年間の間に3倍にまで値上がりした、と言われる。吾が子にお粥」も食べさせられない状態に怒った主婦達が港の米倉庫に押しかけ騒動となった。


この問題では、騒動鎮圧に軍隊が出動し民衆に発砲し死者まで出したのだが新聞が採り上げた事から政治問題となり、その結果、寺内内閣は総辞職、原敬内閣にとって代った。それがその後の「大正デモクラシー」に繋がったと言われる。


先にも記したが、最近の歴史教育等、未履修問題も一地方の問題がマスコミ報道で「全国問題」として各地に波及し、今の国家的問題とまでなった。


ここで3つの事に気付く、先ず第一に、権力への批判は必ずしも中央の権力の足元から起きるとは限らない、むしろそれが顕在化し、問題となるまでには多少の「時間」と「空間(距離)」を必要とするのではないか。


二番目に今も昔も「マスコミの影響力」の大きさである、今は最も大きい影響力を持つ大新聞・テレビ局は癒着して、政治権力におもねているように思う、健闘しているのはむしろ「非新聞社系の独立した週刊誌」である。