日本政治の現実


この過程で見逃せないのは、立法府の「議会が形骸化」してしまった現実がある、国会は本来「言論の府」なのだが、殆どが各省庁から上がって来た原案に、党議に従い「賛成」「反対」の採決に参加するだけとなってしまった。


これには幾つかの要因があると思っている。先ず、第一に、各地から選出されてくる議員のレベルが近年急低下してしまった事が大きい、「小選挙区制」で選挙区は市議会議員並みになってしまい、加えて二三世議員主体となった。


第二に、反比例して政策は首相任命の所謂「有識者会議」に委ねられるのが慣例化した。例えば経済の根幹をなす経済政策は首相任命の「経済財政諮問会議」や「自由化・規制緩和委員会」で審議され、事実上決定している。


第三にそれに伴い「内閣総理大臣」の権限が巨大となり「独裁国家」になったことがある。本来行政の長ながら与党第一党党首を兼ね、立法・行政は意のままに動かせるし、司法は人事権を通し決定的な影響力を持つ。「三権を掌握」しているのだ。


国会は中曽根内閣以来、次の竹下内閣を含め46代小泉に至るまで10人、特に次の竹下、及び後半の小渕・森・小泉内閣は重要政策について首相直属の「調査会」「諮問委員会」を利用・乱立させた。


中曽根氏は「国鉄民営化」を首相直轄の第二臨調で審議し、決定した、その際、会長に清貧で国民的信頼のある土光敏夫氏を起用した事が成功した最大要因だが、日本は「前例主義」、以降の内閣は安易にそれを踏襲するようになった。


重要な国家的政策がこのように(恣意的)首相の指名による僅か数人の委員で審議され決定するのが当然視されるようになった、財界首脳が国策の主導権を持ち、己の事業の為に規制撤廃を利用しているケースさえ見受ける。正に「独裁国家」である。


ところで新聞報道によれば、小泉前首相は歌舞伎やオペラを楽しみ、更に最近の報道ではこっそり財界から20億を集めて、「国際公共政策センター」なる財団を創り、これを基に安倍内閣をリモコンしながら悠々自適の日々だと言う。


(写真は東京・品川の「桜満開」)