「日米諒解案」挫折

okamakoto2005-03-23



日米諒解案」は野村吉三郎大使の米側と必死の尽力で折衝し纏められたものだったが松岡の容れるところとはならなかった、外務大臣の松岡が反対したのである。松岡反対の理由はその時点では明確には言っていないが、「自分自身で自らワシントンへ行きルーズベルトと直接折衝し、支那事変の解決と、英独戦調停工作を一挙にやる予定でいた」(元外務次官大橋忠一氏「太平洋戦争由来記」より)。