安保闘争後

okamakoto2005-04-18



安保反対運動が、結果的に不首尾に終わった事は国民の間に大きな無力感と挫折感をもたらした。時間切れで自然承認となるまでの間、岸は国会で実弟佐藤と二人でスコッチを飲みながら時の過ぎるのを待った(岸氏の後日談)


岸のあとを巡っては、かねて党人派実力者大野伴睦を後継者にする、と約束した児玉等を立会人にした「念書問題」もあった由だが、岸はそれを守らず、結局池田勇人になった、と言う。(その事もあってか、後日岸は右翼に襲われ刺される事件があった)


池田は国会での浅沼委員長「追悼の辞」を自ら買って出て、「生涯深川の安アパートで庶民と一緒に住み清貧の生活をした」浅沼稲次郎を「ヌマさんよ」と呼びかけ、その名演説には社会党員も総て涙した、と言う。