「タレント」選挙


不況下の74年7月、参議院選挙は全国区の大量のタレント候補を立て、未曾有の金権選挙となったにもかかわらず自民党は敗れ、自民党内の田中批判は頂点に達した、有力閣僚の三木・福田両氏も辞任し世論の支持率も急低下してしまった。


そこへ追い討ちをかけたのが文芸春秋に掲載された立花隆氏の「田中角栄研究」及び、児玉隆也氏の「さびしき越山会の女王」であった。田中式錬金術・会社ころがしによる「裏金作りの実態」及び、特異な私生活は、田中を追い詰め、これが辞任を決断させる決定打だった、と言われる。直後の74年11月26日退陣表明となった。