日本列島「アメリカ基地化」


続いて、一週間後の昭和58年1月17日、同盟国アメリカに飛んで、レーガン大統領に会って「日米運命共同体」と発言、同時にアメリカにとって日本列島は「不沈空母」と表現した。


多分、中曽根氏らしい初対面での「リップサービス」の積もりだったに違いない。
然し、したたかな「アングロサクソン」にとっては、この事は「外交・軍事面」では、日本を「アメリカの世界戦略の拠点基地として可」と言ったに等しい事だった。


早速と、2ヵ月後の同年3月に、米原子力空母エンタープライズ佐世保に入港し、半年後の10月には、世界最大の米原子力空母カールビンソンが相次いで佐世保に入港している。中曽根首相の発言の裏付けと日本国内の反応を試す意図があっての事と思う。

その後、日米軍事当局者の立案と思える「日米共同作戦計画案」なるものを首相了承しているが、(11・21)その内容は未だに「非公開」となっている。然し、その後の米軍主導による、自衛隊の共同作戦行動を見ていると、凡その見当がつく。